藤田嗣治からの手紙 「日本野鳥の会 中西悟堂宛 略歴記入」

日本では知る人ぞ知る画家 藤田嗣治 
晩年63歳フランス国籍をとり、日本国籍を抹消
「私が日本を捨てたのではない、日本が私を捨てたのだ」と言ってたそうです。
藤田嗣治  ウィキペディア

2年前にはオダギリ ジョーが藤田を演じ日本フランス合作映画「FOUJITA」が上映された。

その藤田嗣治から日本野鳥の会宛に送られた手紙が
ネットオ-クションに出品されていたのが目に止まり、落札いたしました。
オ-クションの写真では中西悟堂の名前には、ぼかしが入っていました。

実家には藤田嗣治のリトグラフが飾られており
10年前の展覧会「生誕120年 藤田嗣治展」にも見に行き
憧れの画家でもありました。

藤田嗣治

藤田嗣治

消印を見ると 昭和10年7月25日に送られたものです、日本野鳥の会が設立したのが昭和9年ですから
約1年後になります。

藤田嗣治

書簡の内容は藤田の昭和8年までの略歴が書かれたものでした。 
(昭和8年生まれの母が訳すも、略字が多く少し違うかもしれないとの事)

拝啓 小生 佐渡 秋田 男鹿半島 十和田湖方面へ旅行いたし 昨日帰郷いたし候 横顔
について ご返事遅れ申し訳なく候も只今送り候
明治十九年十一月二十七日 東京牛込区にて生る            藤田嗣治
明治四十四年 東京美術学校洋画家卒業
大正二年   佛国 巴里へ留学
大正八年   佛国 サロン・ドートムの会員に推薦せらる
大正十二年  佛国 サロン・ナショナルの準会員に推薦せらる
       其の他 チュレリー・アンデパンダンの会員となる
大正十三年  日本帝国美術院に推薦せらる
大正十四年  佛国政府よりレヂオン・ドノール勲章を授けらる
       同年 白耳義(ベルギー)政府よりレオポルド一世の勲章を授けらる
昭和四年   三か月間 日本へ第一帰朝 正ちに巴里へ帰る
昭和八年   第二帰朝
      同年 二科の会員に推薦せらる 作品は世界中至る処の美術館にあって自分でも皆知りません程です
         世界 欧米 南米 支那 その他 極めて足跡広し。

藤田嗣治

この文章を会誌「野鳥」のどこかで読んだことを思い出し、昭和10年発行の「野鳥」から探しました

藤田嗣治

昭和10年発行 会誌「野鳥」の表紙

八月号に「ペリカン鳥の話」と言う題で藤田が寄稿し、執筆家の横顔として掲載されているものです
私にとっては野鳥の会を創立したばかりの中西悟堂と繋がりがあったのが、かなり驚きでした。

藤田の絵はネットオークションでの肉筆画は9割以上が贋作だと思っています。。
本物の絵は高額で、なかなか買えませんので、自筆の書簡でもちょっとしたお宝になりました

藤田嗣治
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お山 2200m付近の今頃

スレッド:野鳥の写真 // ジャンル:写真
日本一のお山は7月初旬より8月の終わりまでマイカー規制になり自家用車では登れなくなり
この時期 ほとんど五合目まで登る事はなくなってしまいました、数年前までまでは良く通ってたO庭荘
皆さん元気かなぁ。。

ハクサンシャクナゲ

スズメじゃないよ、カヤクグリだよm 。。

カヤクグリ

一時なかなか出会えなかったこともあったけど、最近は良く会えるみたいですね、猫のように甘えたような声で「ニャー」なんて鳴くこともあり、こんな場所に猫が居るのかと騙されたホシガラス、私はこの声を録音し損ねましたが、誰か録音された方は居ないでしょうか?

ホシガラス

ルリビタキ・カヤクグリはカラマツ、オオシラビソの頂で良く囀っています 背景のボケは日本一のお山です
あ~懐かしい。

ルリビタキ

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堀田(bird)さん、ありがとう。

野鳥の撮影を始めるきっかけとなった、自然写真家の堀田明(bird)さんが 3月26日に亡くなられた事を知り
愕然としています。
堀田さんと初めて出会ったのは13年前のプチオフ会で、お酒を飲みながらの鳥談話が
すごく盛り上がって あっという間だったので 最終電車も無くなり、夏だったので 野宿をしたのを
思い出します。
世界遺産のお山で何度かご一緒したこともあり、お優しい方でしたので
鳥が全く撮れない時は 一言も愚痴をこぼさずに山野草の撮影に切り替えたりしてました。
10年位前に富士山で倒れられて(肺気胸だったと思うのですが)、それから体調を崩されていました。

最近では 私が昨年奄美大島で撮影したルリカケスの写真を見て、「綺麗だね 撮りたいよー」
奄美大島行のチケットを取ったと言うメールを去年の今頃でしたが送られてきて
お元気そうだなぁと思ったのですが、1カ月も経たないうちに

「今回は体調が芳しくなくて、やむを得ずキャンセルしました。来年もあるさ的な気楽な気持ちでいようと思ってます。」
と言うメールが届きました。

今年がダメなら来年がある。。 私もこの考えで 今まで写真を撮り続けてきました。
でも 堀田さんには来年が無かったんですね。

昨年6月のメールには
「体調を完全に戻すべくただいま治療入院中です。やっと足のむくみが取れて、一般病棟でリハビリ中です。まもなく、皆さんとお目にかかれそうです。今回の入院はだれにも言っていないので、ご内聞に・・・(笑)。」
FBに顔を出されてないときは、治療入院中だっだようですね。
また、ご一緒しましょうと口癖のように言ってましたが 最後にお会いしたのが8年前になってしまいました。

左の写真集は富士山で鳥見し、こんな写真が撮れたら良いなと憧れていた一冊 
今から30年も前になるんですね。。
今では廃本になりなかなか手に入りにくいです。
1985年発行(富士の鳥)と
右の写真集は自費出版2007年発行(野生の躍動 Bird's World)です。

写真集


もっと写真を長く撮り続けて欲しかった。
人に気を使われる お優しい人だった。。
またお会いしたかった、残念です。。。
堀田さん ありがとうございました。。。。

心からご冥福をお祈り致します。

在りし日の堀田さん 
堀田さん

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野鳥録音の大家 蒲谷先生

日本で初めて 野鳥の声の収録されたレコードが発売されて60年になります
その当時はまだ 78回転のSP盤が主流で 蓄音機で聞いていた時代になります。

蒲谷鶴彦先生が最初に録音されたのは、1951年 御岳山のコノハズクで その声は
1954年 日本初の野鳥のレコード 第2集でも聞けますし
蒲谷先生とM田様とで制作された「日本野鳥大鑑」で聞くことができます
あとイワヒバリの囀りも1954年発売されたレコードと同じ音源を「日本野鳥大鑑」で使われていました。
集音機とコノハズクとの距離は約30m位だったとか、どこかで読んだ記憶があります。
当時の録音機は半端なく重量があり、どうやってイワヒバリの居る場所まで運んだのか
教えていただきたかったです。
M田様から教えていただいたのですが、「野鳥の声」 のち「野鳥の歌」に収録された音源は
野鳥の会に手渡してしまったそうです
一番最初に録音されたコノハズクの声だけは音源を手元に残したようです
今でしたら、ファイルをコピーして簡単に手渡すことができますね。

1960年以降 ビクターから 中西悟堂 日本野鳥の会 監修で 発売された 「野鳥の歌」 を聞きますと
イワヒバリ・サンコウチョウ・ホオアカ・オオジシギ・コノハズクの声は同じ音源が使われてる事がわかりました。

私が小学4年の時に初めて手にしたのが、ジャケットにヒヨドリの写真 1969年発売「野鳥の歌」
でしたが、日本野鳥の会 収録と書かれており
つい最近まで蒲谷先生が録音された鳥が収録されていたとは知りませんでした
1960年に発売された「野鳥の声」と全く同じ音源でした
1960年に発売された「野鳥の歌」は 今でもAmazonでCDとして新品で購入する事ができます。

1960年には「野鳥の声」で収録した音源は使わず
新たに 収録・構成 蒲谷鶴彦・蒲谷芳比古  として
バックに初期の冨田勲 作曲の音楽の入った 「野鳥の調べ」と言う 10インチLPが発売されました
蒲谷先生にとっては初めてレコードラベルにご自身の名前の入ったレコードではなかったでしょうか。
A面はα波たっぷりの音楽と高原の鳥の声とB面は海辺の鳥になっています。

そして1964年に軽音楽をバックに高原の野鳥と、森の野鳥を収録した
「ステレオによる野鳥の音楽会」という10インチLPが発売されました
数年後 全く同じ収録内容で「高原と森の野鳥たち」といタイトルで発売されました
このLPで軽快で明るく鈴を振って囀るノジコの囀りがすごく好きです。

M田様の資料のサイトより 1950年代から1960年代の野鳥のレコードを集めるきっかけになったのですが
ネットオークションや古レコード屋で簡単に手に入るものから なかなか手に入らない物までありました。

野鳥レコード

1951年に初めて録音されてから、1953年には文化放送で「朝の小鳥」を放送開始をし
それから録音収録・構成の担当を約50年も続けたのですから 文化放送から 文化功労者として
授与しませんか? と これは私の案です。。

やはり 一番最初に録られたコノハズクの声は印象に残ります。
どこで この声が聞こえても 蒲谷先生が録音された音源と分る自信があります。
時代劇やCMの効果音で、蒲谷先生の録られた鳥の囀りが聞こえると
人のセリフを耳にすることなく、囀りの方へ耳が行ってしまいます。

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「野鳥と共に」 中西悟堂

1934年, 昭和9年3月、中西悟堂氏により日本野鳥の会創設し
同年6月に富士山麓須走にて日本野鳥の会第1回探鳥会を開催し
1935年 中西悟堂著「野鳥と共に」が15万部のベストセラーになり
古本屋(生物・化学)に行けば必ず目にしました
初版は「巣林書房」から発行されましたが
その後 「野鳥と共に 普及版」(日新書院) 
春秋社から 「定本野鳥記 〈1〉 野鳥と共に」と
初版の昭和10年から昭和50年代後半まで出版社を替えながら
野鳥に関した本の中ではベスト&ロングセラーと言っていいでしょうね。

普及版は中二の時に読んだので、今から40年位前に買ったのですが
第三十一の写真に、中西悟堂氏が手に乗せた鷹と一緒に撮影した写真があり
「訓練中の鷹(長元坊)と」書かれていたのですが、写真を見るとサシバじゃないかと思ったのですが
今まで訂正されてないという事は、最後の最後まで この写真をを見て否定する人は居なかったのでしょうね
悟堂先生が御存命であり、今の自分でしたら間違いを教えていたのでしょうね。

その後、巣林書房班の初版本が欲しくなり30年位前に神田の古本屋に探しに行きました
状態の良い物がなかなか無く、見つけたのがこの一冊です。

野鳥と共に

カバーに破れが少しはあったものの、表紙を捲ると中西悟堂のサインが入っていました
初版本と同時にサイン付とは昭和10年発行ですので、今から80年前のサインですね
その時は宝くじにでも当たった気分でした
後、加藤武雄を調べましたら、おそらく小説家の加藤武雄かと思われます。

野鳥と共に

カバーを取った表紙、口絵には 以前紹介した荒木十畝氏の絵になっています

野鳥と共に

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中西悟堂先生の生原稿

スレッド:雑記 // ジャンル:小説・文学
今日も暑かったですが 干潮を狙って多摩川河口に行ってみました
鳥はカルガモとウミネコの姿とヒバリの声だけでした。
公園脇の草原ではキリギリスが良く鳴いていましたが
こんな所で聞くのは、初めてでした、公園が新しくなり
土の中に卵が入っていたのかもしれませんね。

干潟にはシジミ取りの人が入り、鳥は全く居ません
「トビハゼ」でも探して撮ろうと思ったのですが
2時間探し回っても全く見つけることができずに帰宅しました
以前はこの時期、数は少ないものの見かけたのですが
撮りたい時には居なくなってしまうんですね。

フィールドでの新しいネタがありませんので
中西悟堂先生と内田清之助先生の生原稿を先日ネットオークションにて
落札いたしましたので、取り上げたいと思います。

悟堂先生の生原稿の題が 「野鳥方言二三」 200字7枚原稿
野鳥23種の方言を取り上げているのかなとわくわくしながら
落札いたしました。
野鳥の会 会誌 「野鳥」への投稿での生原稿でしょうか?。
届くと直ぐ生原稿を読みましたが野鳥の方言という事で取リ上げられた鳥は
コゲラとニュナイスズメの2種類でした。
これは「野鳥方言 に さん」という事になるのでしょうか
200字原稿7枚に 良く考えれば23種類も取り上げられるわけないですね。

中西悟堂

そして 内田清之助先生の生原稿です、内田先生は『日本鳥類図説』(1913年)の著者であり
野鳥図鑑のパイオニアでもあり、日本鳥学会では名誉会頭でもありました。

内田清之助


残念ながら内田清之助先生の200字8枚生原稿には野鳥の事は全くふれておりませんでしたが
「わかりよい文章」と言う題で、小説家などの著名人を取り上げ、この人の書き方は ここがわかりやすい
こういう書き方は他の人には真似できないとか書かれています。

野鳥に携った有名な先生方は長生きされてますね。
中西悟堂 89歳、 内田清之助 90歳、 黒田長礼 88歳、 黒田長久92歳、  山階芳麿 88歳 清棲幸保 74歳

野鳥の事を勉強をするのは長生きの秘訣でしょうか。

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富士山麓 プチ観光

当日何の計画も無しに妻を連れて富士山麓へと、プチ観光しました
忍野に行ったことが無いと言っていたので、山中湖方面へ向かい
一日雨の中、見学してきました。

スズメ

今回は EF40mm F2.8 STM  パンケーキレンズとEos1DsMkⅡなので
鳥は諦めていたのですが、忍野にスズメが居て良かった。

スズメ

翌日は、河口湖に付くと天気が良くなり、富士山が見えてきたので ラベンダー畑へと向かいました
朝は人が少なくて気分も最高。。

ラベンダー

人が増えてきたところで、オルゴールの森へ行き オルゴールの音色を聞いてきました。
1880年製オルゴールの音色です。






オルゴールの森

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